iinira’s blog

歴史のブログを書くことにしました。いーにらです。よろしくお願いします‼️

インドネシアの独立とスハルト政権

アフィリエイト広告を利用しています

インドネシアの独立とスハルト政権

インドネシアは、1945年にオランダから独立を宣言したが、その後もオランダとの独立戦争や内政の混乱、外交の孤立などに苦しめられた。1965年には、共産党によるクーデター未遂事件が発生し、スハルト将軍が権力を掌握した。スハルト政権は、経済の発展と政治の安定を図ったが、汚職や人権侵害、民主化の抑圧などの問題も抱えていた。1998年には、アジア通貨危機と民衆の反政府運動により、スハルト政権は崩壊した。インドネシアの独立とスハルト政権について、以下に紹介する。

インドネシアの独立と独立戦争

インドネシアは、17世紀からオランダの植民地支配を受けていたが、第二次世界大戦中に日本軍に占領された。日本軍は、インドネシア人に対して一定の自治権を認め、民族主義運動を支援した。1945年8月15日に日本が降伏すると、スカルノとハッタという民族主義者が、インドネシア共和国の独立を宣言したスカルノは初代大統領に、ハッタは初代副大統領に就任した。

しかし、オランダはインドネシアの独立を認めず、軍事的に再植民地化を図った。インドネシアは、正規軍とゲリラ部隊でオランダ軍に抵抗した。この独立戦争は、1949年まで続いた。国際連合の仲介により、オランダはインドネシアの独立を承認し、インドネシア連邦共和国が成立した。しかし、この連邦制はスカルノらによって廃止され、1950年にインドネシア共和国が再建された

スカルノ政権の挑戦と崩壊

スカルノ政権は、国内の対立勢力を調整するために、国民主義・宗教・共産主義の三つの勢力を統合したNASAKOM(ナサコム)という体制を採用した。また、外交では、第三世界のリーダーとして、反植民地主義・反帝国主義・非同盟の立場をとった。1955年には、バンドンで第一回アジア・アフリカ会議を開催し、周恩来やネルーらと協力した

しかし、スカルノ政権は、次第に共産党の影響を強め、中国との関係を深めた。これに反発したアメリカやオランダとの対立が激化し、インドネシアは国連を脱退した。また、国内では、共産党と陸軍との対立が激化し、経済の混乱や社会の不安が高まった。1965年9月30日には、共産党によるクーデター未遂事件が発生し、6人の将軍が殺害された。

この事件をきっかけに、スハルト将軍が権力を握り、共産党の粛清を開始した。推定50万人から100万人の共産党員や支持者が殺害されたとされる。スカルノは、スハルトに全権を委任し、1967年に大統領を辞任した。スハルトは、1968年に第2代大統領に就任した。

スハルト政権の発展と崩壊

スハルト政権は、新秩序と呼ばれる体制を樹立し、経済の発展と政治の安定を図った。スハルトは、ゴルカル党を与党とし、軍や官僚と密接な関係を築いた。また、西側諸国や日本との協力を強化し、外資や開発援助を受け入れた。インドネシアは、高度成長を遂げ、アジアの四小龍に次ぐアジアの新興国として注目された。

しかし、スハルト政権は、汚職や人権侵害、民主化の抑圧などの問題も抱えていた。スハルトとその家族は、巨額の私腹を肥やし、国民の反発を買った。また、東ティモールアチェなどの地域では、独立運動が弾圧された。1997年には、アジア通貨危機により、インドネシアの経済は深刻な危機に陥った。

この危機を背景に、学生や市民、宗教団体などが、スハルトの退陣を求めるデモやストライキを展開した。スハルトは、暴力的な弾圧や改革の約束を試みたが、効果はなかった。1998年5月には、ジャカルタで大規模な暴動が発生し、多数の死傷者や被害者が出た。スハルトは、軍や政界の支持を失い、5月21日に大統領を辞任した。スハルト政権は、31年にわたる支配に終止符を打った。


以上が、インドネシアの独立とスハルト政権についての記事です。インドネシアは、オランダからの独立後も、スカルノ政権とスハルト政権という二つの長期政権によって、経済や外交、政治や社会に大きな変化を経験しました。

インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実-大東亜戦争は侵略戦争ではなかった【電子書籍】[ 桜の花出版編集部 ]

インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実-大東亜戦争侵略戦争ではなかった』は、桜の花出版編集部による電子書籍です。価格は1,540円(税込)で、楽天Koboアプリで立ち読みが可能です。

本書では、16歳の若さで日本軍が設立した郷土防衛義勇軍に参加し、ゲリラ隊として活躍した人々の証言が収められています。例えば、独立戦争中に小団長として活躍し、後にインドネシア国軍中将として国連大使にもなった78歳の方や、オランダ系電気会社勤務中に大東亜戦争が始まり、独立戦争中に軍司令部で戦闘を指示した89歳の方が登場します。

また、デヴィ・スカルノ氏(デヴィ夫人)は、1959年にスカルノインドネシア共和国初代大統領と結婚。大統領の政治理念を補佐し、日イの相互扶助に貢献。さらに、日本でのテレビ出演や講演会を通じて、日本の誇りを復興させるために尽力しています。