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イサベル1世とは誰か?

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## イサベル1世とは誰か?
イサベル1世といえば、スペインのカスティーリャ女王で、夫フェルナンド2世と共にカトリック両王と称される人物です。彼女は1451年にカスティーリャ王フアン2世の娘として生まれました。彼女は18歳でアラゴン王子フェルナンドと政略結婚し、1474年に兄エンリケ4世の死後、カスティーリャ女王に即位しました。彼女は1492年にイスラム教のグラナダ王国を征服し、レコンキスタイベリア半島キリスト教国によるイスラム教国の領土回復運動)を完成させました。また、彼女はコロンブスの新大陸探検に援助を与え、スペインの海外進出の基礎を築きました。彼女は1504年に死去し、スペインの歴史に大きな影響を与えました。

## イサベル1世の生涯と業績
イサベル1世は、幼い頃から政治的な争いに巻き込まれる不遇な環境で育ちました。彼女は3歳のときに父フアン2世が亡くなり、異母兄エンリケ4世によって母や弟とともに追放されました。彼女は母の精神病や貧困に耐えながら、教育や信仰に励みました。彼女は1464年に貴族たちによって王位継承者に推されましたが、兄エンリケ4世との対立を避けるために拒否しました。彼女は1469年にアラゴン王子フェルナンドとひそかに結婚し、カスティーリャアラゴンの同盟を結びました。彼女は1474年に兄エンリケ4世が死去すると、カスティーリャ女王に即位しましたが、兄の娘フアナとその夫ポルトガル王アフォンソ5世に王位を争われました。彼女は1476年にトーロの戦いでアフォンソ5世を破り、1479年にアルカソヴァス条約で王位を確定させました。同年、夫フェルナンドがアラゴン王になり、イサベルとフェルナンドはカスティーリャアラゴンの共同統治者となりました。

イサベル1世は、カスティーリャアラゴン連合王国としてのスペインの基礎を作りました。彼女は国内の改革に取り組み、中央集権化や財政整備、教会の改革、司法の改善などを行いました。彼女はまた、イベリア半島に残るイスラム教のグラナダ王国に対して戦争を開始し、1492年にグラナダを陥落させてレコンキスタを完成させました。この戦争中に、彼女はコロンブスの新大陸探検に資金や船を提供し、スペインの海外進出の道を開きました。コロンブスは1492年にカリブ海の島々に到達し、その後もアメリカ大陸の発見に貢献しました。イサベル1世コロンブスの発見した土地に対してスペインの権利を主張し、教皇による勅許やポルトガルとの条約によってスペインの領土を確保しました。彼女はまた、新大陸の住民に対してキリスト教の布教を命じ、スペインの文化や言語を広めました。

イサベル1世は、スペインの黄金時代の基礎を作った偉大な女王として評価されていますが、彼女の治世には暗い面もありました。彼女は熱心なカトリック教徒であり、異教徒や異端者に対して厳しい弾圧を行いました。彼女は1478年に異端審問所を設置し、ユダヤ人やイスラム教徒、ユダヤ教イスラム教からキリスト教に改宗した人々(コンベルソやモリスコと呼ばれる)に対して拷問や処刑を行いました。彼女は1492年にユダヤ人を追放し、1502年にイスラム教徒を追放しました。これらの措置はスペインの多様性や寛容性を失わせ、多くの人々の苦しみや死を招きました。

イサベル1世は、1504年に死去しました。彼女は53歳でした。彼女の遺体はグラナダの王立礼拝堂に埋葬されました。彼女の死後、スペインは彼女の娘フアナとその夫ハプスブルク家のフェリペ1世によって統治されましたが、フアナは精神病にかかり、フェリペ1世は早世しました。そのため、スペインは彼女の孫カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)によって統治されることになりました。カルロス1世はイサベル1世の遺産を引き継ぎ、スペインをヨーロッパの大国にしましたが、その後のスペインは衰退の道を歩むことになりました。

15世紀のカスティーリャ王国の王女イサベルは、兄からの望まない結婚命令に抗し、自らアラゴン王国の王子フェルナンドと結婚しました。彼女の決断により、カスティーリャアラゴンは統一され、スペイン王国が誕生しました。イサベルはその後、レコンキスタ終結させ、コロンブスの航海を支援するなど、偉大な女王として知られています。このコミックでは、彼女の生涯がわかりやすく紹介されています。