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明石全登:謎多きキリシタン大名

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明石全登:謎多きキリシタン大名

明石全登(生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、宇喜多氏の家臣でした。彼は熱心なキリシタン武将としても知られており、宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護したことで有名です

生涯と業績

明石全登は備前国保木城主・明石行雄の子として生まれました。彼の家系は赤松氏の末裔であり、銅山運営者としても知られていました。天正3年(1575年)に浦上氏が滅亡した際、父・行雄は宇喜多直家に呼応して寝返り、以後宇喜多家に帰属しました。全登も父が存命中の文禄5年(1597年)に家督を継ぎ、和気郡大俣城の城主となりましたが、領国行政には携わっていないとされています

宇喜多家での役割

慶長4年(1599年)に宇喜多家でお家騒動が起こり、家宰・長船綱直が暗殺された後、全登は家宰として宇喜多家中を取り仕切りました。彼は宇喜多秀家の岳父である豊臣秀吉の直臣としても知行を貰い、合計10万石を領していました

関ヶ原の戦いとその後

1600年の関ヶ原の戦いでは、宇喜多秀家に従って出陣し、西軍に与しました。しかし、戦後、宇喜多氏が没落し、全登は浪人となりました。その後、キリシタン大名である黒田如水の下で庇護されたといわれています。大坂の陣では豊臣方として参戦しましたが、その後の消息は不明であり、彼の最期は今もなお謎に包まれています

大坂の陣 キリシタン武将明石全登の戦い』は、神本康彦氏による文芸社文庫から発行された歴史小説です。この作品は、大坂の陣におけるキリシタン武将である明石全登の戦いを描いています。明石全登の奮闘と信仰の葛藤、そして戦国時代の熱狂的な情景が、読者を引き込むことでしょう。本書は文庫形式で、330ページに渡って物語が綴られています。